【レポート】仙山線鉄道遺産シンポジウム
「新幹線は仙山線から始まった」

 さる7月7日(土)、企画展「仙山線と鉄道遺産」関連企画として「仙山線鉄道遺産シンポジウム『新幹線は仙山線から始まった』」が、ステーションキャンパス3Fの研修室で開催されました。当日は前夜からの豪雨で、交通機関の麻痺も心配されたほどでしたが、130人もの参加者があり、研修室の椅子では足りなくなり、急遽別教室から椅子を追加しての開演となりました。

プログラム

第1部

基調講演 「新幹線は仙山線からはじまった」
講師 松野匡雄氏 仙山線交流電化試験時の作並機関区助役

第2部

パネル討論
パネルⅠ 松野匡雄氏( アドヴァイザー)
パネルⅡ 米山淳一氏(地域遺産プロデューサー・元(財)日本ナショナルトラスト事務局長)
パネルⅢ 村山雅史氏(JR東日本仙台支社設備部工事課長)
パネルⅣ 後藤光亀氏(東北大学准教授・(社)土木学会選奨土木遺産選考委員会委員)
座長(コーディネーター) 佐藤 茂氏(みちのく鉄道応援団代表幹事)

松野さんによる基調講演概要

 昭和20年代末、当時の国鉄は安上がりの電化方式として交流電化の試験を始めた。その為に仙山線を試験線と指定し交流試作電車を二両発注した。一両は交流直接制御方式のED441、もう一両は整流器方式のED451であった。

 この二両で昭和30年秋に性能比較試験を行った。その結果、整流器方式のED451は空転もせず、大出力を発揮するということが分かり、更に、パンタグラフを小さくできることから高速走行に向く可能性が判明した。単に安上がりということに留まらず、高速鉄道の可能性に気付いたわけである。これを国鉄本社に報告した。

 昭和30年代当初、国鉄は一方で東海道本線の線増計画を進めており、その検討の中に交流電化方式も加えられ、複数案が比較された中で、最も経済的なのは『標準軌の超高速交流電化別線線増』と判明。国民経済的に見て最善の選択であると。ここに新幹線の原案が誕生した。

パネル討論概要

米山:
新幹線を世界遺産に登録しようと言う話が出ている。作並機関区は新幹線の基となった交流電化の発祥の地。産業交通土木遺産だ。今後町創りと両輪で進める必要が有る。

村山:
仙山線は自然との闘い。風で良く止まるのも、トレッスル橋の熊ヶ根鉄橋で規制を越えるから。鉄道林も単一樹種から複数樹種に切り替えつつある。ソフト・ハード両面から対策を講じている。

後藤:
仙山線は土木遺産。トレッスル橋の構造美、山寺転車台、作並の諸施設も土木遺産たり得る。皆さんの仙山線物語を一緒に創って行きたい。地元の人々とのネットワーク作りが大切。

松野:
地元に残っている交流試作電気機関車は貴重な技術資料。一度失うと二度と戻せない。現物を直接調べ直して資料も作り、是非残して欲しい。

質疑応答

  • 交流電化のその当時は関心がなかったが、今にして郷土史の価値を深く認識している。
  • 当時国鉄職員として地上設備に関与した。「新幹線は仙山線から始まった」のタイトルに感激。
  • 観光鉄道や文化遺産が評価を高めている。国も変わりつつある。
  • 誰かがやってくれるのではなく、皆がやるべし。そうすればJRもやるようになる。
  • 古い駅舎の改築も地域の声を取り入れ昔の風情を残すように行いたい。

 

たくさんのご参加ありがとうございました。