学長室の窓

学長法話:令和八年度両祖忌

2026年10月7日に行われた、令和八年度両祖忌法要の際の学長法話です。

皆様こんばんは。本日は東北福祉大学の両祖忌ということで、学生・教職員、ご参加すべての皆様に深く感謝申し上げます。
 両祖忌の由来
 さて、冒頭に説明がございましたとおり、お釈迦さまから数えて第51代目にあたられます道元禅師が、鎌倉時代に中国より教えを伝えられました。そして道元禅師から数えて4代目にあたられます瑩山禅師が現在の曹洞宗教団の基礎を築かれたということでございます。
一仏両祖、すなわちお釈迦様と道元禅師・瑩山禅師を信仰し、その教えを拠り所としているのがわれわれ曹洞宗でございます。仏教では立派な僧侶がお亡くなりになることを「教化説法の場を移す」という意味で「遷化」と申しますが、道元禅師は建長5年(1253年)、瑩山禅師は正中2年(1325年)にそれぞれご遷化になりました。ご遷化の日付は旧暦ではそれぞれ8月28日と8月15日でしたが、新暦では奇しくも両祖ともに9月29日となります。そこで明治の改暦以来、この日を両祖忌と定めて今日に至っております。ちなみに今年、道元禅師はご遷化から774年、瑩山禅師は702年を数えます。
 釈尊・道元禅師・瑩山禅師
さて、今から遠く2500年前、インドで仏教を開かれたお釈迦様—釈尊—は、人間の苦しみの原因を明らかにする縁起の教えをお説きになりました。そして苦しみの根本となるその問題を解決し、本当の安らぎを得るため、坐禅という道を示されたのでございます。そしてこの教えが広く世界中に伝わっていったわけでございます。この坐禅の教えを正しく受け継がれ、日本にお伝えになったのが道元禅師であり、その深い教えをより身近なものとされ、多くのお弟子様を育て上げられたのが瑩山禅師です。道元禅師は『正法眼蔵』をはじめ多くの書物を著され、大本山永平寺を開かれました。瑩山禅師にも『伝光録』をはじめとしたたくさんの著作があり、大本山總持寺を開かれました。これら両本山を通じて正法が伝えられ、お釈迦様の教えが現代まで正しくまっすぐに受け継がれているのであります。まさにその故に、お釈迦様が行った坐禅を今も本学の坐禅堂で行ずることができるということは、まことに有難いことなのでございます。
 道元禅師の教え
本日はそのような意味からも、仏道に励まれる学生の皆さんにふさわしい道元禅師の言葉をお届けすることにいたします。
それは『正法眼蔵随聞記』の次の言葉であります。「学道の人は後日を待ちて行道せんと思うことなかれ」。仏の教えを学ぶ者は、「いつか後日に修行しよう」などと思ってはならないということです。すなわち、今、この瞬間を虚しく過ごさず、その日その日、その時その時に全力を尽くして励むべきであるというお示しであります。また、「学道の人すべからく寸陰を惜しむべし」、瞬間瞬間を大切にしなさいと仰っています。終わりのない仏道であるからこそ、時間を惜しんで精一杯精進いたしましょうと、現代まで語りかけておられるのであります。
 棟梁の言葉
こうした考え方は、仏教に限ったものではないかもしれません。
私の知り合いに宮大工の棟梁をしている方がおられます。その方とお話をした時の話です。ある時、その棟梁のもとに新しいお弟子さんが入ってこられたそうです。そしていきなり棟梁に尋ねたそうです。「お師匠さん、どうしたら大工の道が上達するでしょうか」。すると、棟梁は答えたそうです。「そうだね。まずは10年間一生懸命に頑張ってみなさい。そうしたら、その時に同じ質問をしてみたらどうだろうね。そしてそれから、さらに10年頑張って、その時にまだ覚えていたら、また同じ質問をしてみるといいよ。そうしたら答えはおのずと見えてくるかもしれないね」と、こう答えたそうです。まことに親心に満ちた答えではないでしょうか。
 終わりのない道
終わりのない道、それは決して「頂点を極めよう」という派手さはないかもしれません。しかし、時間を惜しんで地道に、そしてあらゆる瞬間に全力を傾ける。それは「究極のゴールを目指す」ということではなく、むしろ未来の希望を見続ける地道な歩き方です。それが「本物の人間になる」ということなのでありましょう。「学道の人は後日を待ちて行道せんと思うことなかれ」。本日、両祖忌にちなみまして、深く味わいたい言葉を紹介したつもりでございます。今月は達磨忌も待っています。共に力を合わせて、一歩一歩確かに進んで参りましょう。
 

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