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開館によせて

 私の父・銈介は東北地方の風土を、そして古い伝統の息づく雪国の人と文化をこよなく愛していた。1931年に静岡から東北地方へ旅立ち、仙台の堤窯を皮きりに岩手県久慈窯までの行程を「東北窯めぐり」と題する作品として発表した。さらに青森県八戸では江戸中期から伝えられた「南部小絵馬」の美しさを見出したのだが、その古格ある重厚な筆の運びは、秀衡椀と並んで東北の誇りうる文化遺産であると柳宗悦が絶讃したのだった。銈介は東北のひなびた温泉場を好み、晩年になっても骨休みのためにしばしば鳴子温泉に逗留し、そのたびに多くのスケッチを残している。仙台の定禅寺通りと青葉通りにうっそうと茂った欅並木も、銈介の心を和ませる風景の一つであった。ホテルから出てステッキをつきながら青葉の下を散歩し、付近の骨董店などをのぞくのが楽しみであったらしい。終戦直後に次女を仙台に嫁がせ、3人の孫が生まれたということも、銈介の東北好きに拍車をかけたにちがいない。東北地方を題材とした銈介作品だけでも、おそらく一つの展示室を満たすに足りるであろう。

 銈介は1945年から80年までに収集した内外の染織品・木彫・絵画・陶器・装身具など約4500点を作品約200点と共に静岡市に寄贈した。静岡市によって「芹沢銈介美術館」が81年に完成し、それらは常時一般に公開展示されることになった。それより先、1963年には倉敷の大原美術館の中の工芸館として「芹沢館」が開館し、常時作品の展示が見られるようになった。したがって、西日本から中部地方にかけての人たちには銈介の作品と収集品とを見るための施設が提供されたのだが、東北地方の人にとってはやはりそれらは遠い存在であったといえる。銈介が病いにたおれ、虎ノ門病院で治療を続けていたある日、「仙台にも陳列館を一つ作ってくれよ」としみじみとした口調で私に語りかけた。アンデスやアフリカの染織品を中心にした展示を、仙台の人たち、東北の人たちに見てほしいと願っていたようである。たまたま東北福祉大学の当局の方々にお会いしたところ、大学の中に美術館を建設する用意があるというご意向を知り、残っていた作品と収集品を一括して寄贈し、公開展示の資料として使って戴くことを考えた。1989年に完成した「芹沢銈介美術工芸館」の開館を、まっさきに喜んでくれたのは父・銈介であろうと思う。

1989年6月

初代館長 芹沢長介