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VOL.49 JANUARY 2008

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[社会福祉キーワード] 生存権(日本国憲法第25条)

助教 平野 光洋

日本国憲法第25条
1 すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は,すべての生活部面について,社会福祉,社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない

 日本国憲法第25条は,1項では「国民の生存権(健康で文化的な最低限度の生活を営む権利)」,2項では「国の責務(社会福祉,社会保障及び公衆衛生の向上及び増進)」を規定しています。
 この憲法第25条の「生存権」は,社会福祉における重要な理念と位置づけられています。ここでのポイントは,国が国民の生活を保障するという発想にあります。
 生存権が規定された最初の憲法は,1919年のドイツのヴァイマル憲法です。つまり「国が人間らしい生活を保障する」という「生存権」が憲法に規定されるようになるのは,20世紀になってからです。では,それ以前はどうだったのでしょうか。今では生存権というと,当たり前のように思われがちですが,この発想が出るのは,大変なことだったのです。
 19世紀,イギリスなどでは,産業革命による科学技術の発展により,人々は便利な生活が送れるようになりました。しかしその一方で様々な「社会問題」が発生しました。それは,貧富の差の拡大,特に貧困の問題です。貧しい者は飢え,十分な教育や医療すらも受けられませんでした。今だったら,「政府は何をやっているの!」と国の責任を問う声もでてきます。しかし当時の人権概念は,「アメリカ独立宣言」や「フランス人権宣言」などに代表される「自由=人は国から干渉されない」,「平等=機会(スタート)の平等,競争による結果(ゴール)の差は認める」という意味で使用されていました。貧困についてもこの頃は,「国は手を出すべきではない,自由放任でよい」,「お金のない人達は,怠け者なのだから飢えても自業自得だ」という意見が強い時代でした。
 20世紀に入ると貧困などの問題は,その原因が「個人の怠惰」ではなく,「社会の問題」であるという意見が強くなります。その中で「人間らしい生活の保障」のために,「国が国民に積極的に関与すべき」という意見が強くなります。この発想は,国が国民の人間らしい生活を保障する「生存権」国が国民のために社会保障や雇用政策を積極的におこなう「福祉国家」の流れにもつながっていくのです。

 憲法第25条の生存権をめぐって争われた代表的な訴訟には「朝日訴訟」と「堀木訴訟」があげられます。

(1) 朝日訴訟

 原告の「朝日」の姓からこう呼ばれ,「人間にとって生きる権利とは何か」を真正面から問いかける意味で「人間裁判」とも呼ばれます。
 肺結核で療養所に入所していた原告が,生活保護法による生活扶助(1956年当時で月額600円の日用品費)を受けていましたが,兄から月額1,500円の仕送りを受けることとなり,社会福祉事務所が,1,500円のうち600円を日用品費に充当させ,残り900円を医療費の一部として原告に負担させる決定をします。これに対して原告が,日用品費600円の金額は,憲法の保障する健康で文化的な最低限度の生活基準を維持するに足りないとして訴えを起こした事件です。

(2) 堀木訴訟

 原告の「堀木」の姓からこう呼ばれます。全盲で障害福祉年金を受給していた原告は児童扶養手当の受給資格の認定を申請しますが,年金と手当の併給禁止規定によりその申請を却下されます。この併給禁止規定が憲法第25条と憲法第14条(法の下の平等・差別の禁止)に違反するとして訴えを起こした事件です。

 「朝日訴訟」と「堀木訴訟」は,とても有名ですので,社会福祉を学ぶ者の基礎知識として知っておいてください。両訴訟とも,最高裁判例は「プログラム規定説(生存権は国の努力目標を定めただけであって,裁判によって救済を求めることが可能な具体的権利とは認めない説)」に近い立場にあり,立法措置は立法府の裁量,生活保護の認定判断は,厚生労働大臣の裁量に任されているという位置づけにあります。
 こう述べると憲法第25条(生存権)の価値は,何かと考えてしまいます。ここでぜひお勧めしたいことは,「もし憲法第25条の規定がなければ,今の日本はどうなっていたのだろうか?」と考えてみることです。少なくても憲法第25条1項に該当する内容は,日本国憲法の原型であるGHQ草案には含まれておらず,けっしてありえない話ではありません。生存権が憲法に規定されていないのですから,国民の生存権という概念自体が希薄になります。そして生存権は,憲法第13条(幸福追求権)を根拠に「新しい権利」の1つとして展開されていたかもしれません。これは,憲法第25条(生存権)の価値を見つける糸口になると思います。

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