1978(昭和53)年4月。東北福祉大学正門の右手には福聚幼稚園(現:学生サポートセンター)があり、左手には大きな本館管理棟が仙台市内を見下ろしていました。大学構内に向かう広い一本道の両脇には、きれいな桜並木があり、今を盛りとばかりにその美しさを競っていました。北海道を故郷とする私にとりまして、忘れることのできない入学式の朝のことです。
当時、1学年から学科毎に50音順で「基礎ゼミ」がありました。私はそこで大坂譲治教授と出会うのです。先生は夢多き人物でした。児童養護施設や乳児院などを運営する法人の施設長でもおられました。先生は「頭でっかちではない即戦力のある人材育成したい。そのための専門校を作りたいが金がない」。なんともストレートです。自らの施設を開放され、その夢をゼミ生に託しました。私たちは大学での学びと並行して極めて実践的な学びの機会を得たのです。
私の物語は「小松島子どもの家」から始まりました。卒業後、道北の児童養護施設に勤務し、その後、北星学園大学の松井二郎教授のもとで研究生となり、特別養護老人ホームを経て、1990(平成2)年に北海道立向陽学院(児童自立支援施設)の職員となり、この北海道立大沼学園長として定年を迎えることになりました。
園長室の窓から寒々とした冬空を眺めていた2016(平成28)年11月。作家・谷村志穂氏から電話が入るのです。「長編小説『大沼ワルツ』執筆の際、大沼在住者から幾度となく大沼学園の温かいエピソードを伺うこととなった。施設で暮らす子どもたちや学園職員の方たちに触れて作品としたい」との意向でした。その趣旨は「人間の可能性」であると。私たちに課せられた守秘義務に抵触しないこと、個人情報の管理を徹底しつつ協力を差し上げることとなったのです。
2017(平成29)年5月、「月刊潮」に「セバット・ソング」と名付けられた小説の連載が始まりました。そして、改稿を終え、この11月5日に単行本化され全国発売となったのです。幼少期からの過酷な生活に耐えながらも児童自立支援施設で生活を余儀なくされたきょうだい(兄と妹)は、施設生活を通じて成長していきます。時に心折れ、時に励まされ光明を見いだそうと懸命に生きる道を探し求めます。寄り添う施設職員や彼らを支える人々と織りなすその姿は、読者自身の立ち位置により全く趣を異にします。
福祉関係で仕事をされている方、学びの中にある方、施設生活を経験された方、今、施設で生活をしている子どもたち、さらに、辛苦の中で生きていかなければならぬ子どもたちが自身のほど近いところで生活していることを多くの方に知って頂きたい。私がそうであったように、読者のおひとりおひとりの物語に重ね合わせていただき、「セバット・ソング」に登場する主人公らを励まして頂きたいと思うのです。(北海道立大沼学園 園長 三浦辰也)