教員志望から転じた
プロレス人生。
人を育む心を忘れない、
看板レスラーの夢は続く。

女子プロレス「アイスリボン」取締役選手代表
藤本つかさ
総合福祉学部 社会教育学科
  • 教員
  • サークル
  • ゼミ
  • ボランティア

Profile

プロフィール

宮城県利府町生まれ。宮城野高卒業後、2002年に総合福祉学部社会教育学科(現教育学部教育学科)入学。在学中に中学校・社会、高校・歴史、養護学校の教員免許を取得。卒業後は出版営業を経験したのち、芸能界入り。2008年、翌年公開の映画「スリーカウント」出演のため、プロレスラーとしてデビューする。現在は、埼玉県蕨市を本拠に置く女子プロレスの人気団体「アイスリボン」で取締役選手代表を務め、看板レスラーとして活躍。得意技はビーナスシュート、ツカドーラ、ジャパニーズオーシャンサイクロンスープレックスホールド。(所属・肩書等は2018年5月掲載時)

出版業界への就職、突然の芸能界オファー…
きっかけは、映画出演。

写真提供:アイスリボン

教員免許をお持ちですが、どうしてプロレスの世界に飛び込んだのか。そのきっかけを教えてください。

教員採用試験を受けようとしていたんですが、その練習と思って一般企業の面接を受けたんです。そのうちにマスコミ業界に興味が出てしまって。出版社に入社して、広告営業を経験しました。入社年の2006年、出版パーティーに来ていた芸能事務所の社長さんから声をかけられて、芸能の仕事をかけもちすることになったんです。月曜日から金曜日までは通常の仕事をして、土日に芸能の仕事をするようになりました。芸能人のフットサルリーグというのがあって、それに出場したり再現VTRの仕事をしたり。

ですが、とあるオーディションに行ってきてと言われ、それがプロレスを題材とした映画で、その映画に出られる条件が「レスラーとしてデビュー」だったんです。他のオーディションと違って「自分が頑張れば映画に出られるんだ」と、次の日から練習に参加しました。100人以上が応募した中でデビューできたのは8人でした。映画に出演できて、映画も公開され、そこでプロレスをやめても良かったのですが、デビューしてプロレスに魅了されてしまったんです。

プロレスのどんなところに魅了されたのですか?

日常じゃ言えないこと、できないことがプロレスではできるんです。先輩や上司を殴ることは会社では許されませんからね。やられてもやられても、立ち上がる姿をお客さんがみて、それを日常に投影してもらえること。自分の喜怒哀楽が試合に反映される中でも、それをファンの方たちに応援してもらえること、特に喜びをファンの方と共有できる瞬間が好きで、続けています。

今は取締役選手代表という肩書がついていますね。いつごろから、団体を引っ張る立場となったのでしょうか。その主な役割は?

デビューして3年経ったくらいに、団体の創設者がやめて、その後も次々と先輩の選手がやめてしまったんです。そのときに「団体を解散するか、藤本がまとめるか」と選択を迫られたことがありました。もちろん後者を選択。それからですかね。取締役選手代表という肩書がついたのは。今は対戦カード、いわゆるマッチメイクをしたり、新人練習のコーチをしたり、企画を考えたり、スカウト活動をしたり、一人ひとりのメンタルケアもしています。プロレス業界はモノでなく、人が商品。しかも感情が伴う商品です。だから心のケアを大事にしています。団体の取り組みとして、企業とコラボしてテーマパークで試合をしたり、自動車メーカーの決算報告会で試合をしたこともあるんですよ。そんな企画に携わったりもします。

忘れられないゼミ活動、落研、ボランティア。
大学の友だちは、一生友だち。

学生時代のお話を伺いたいと思います。まず東北福祉大学に入学したきっかけは

大学を選ぶのに、県内の大学で教員になれるところを探していたんです。ですが、落ちまくって(笑)。二次募集で福祉大に受かりました。「(浪人せず受験できるところが)まだあった!」って思って。すみません・・・社会科の免許が取れるので「ここだ!」と思いました。願書も直接大学に行って締め切り当日に出したんですよ。試験も問題を解けた自信がありました(笑)。

受験に失敗した挫折を引きずったりはしなかったですか?

全然。福祉大は本当に楽しすぎて、最初からここを選択すればよかったと思いました。入学してすぐの授業で衝撃的な言葉を言われたのを覚えてます。「みなさん、入学おめでとうございます。大学ではたくさん失恋しなさい。そうすれば痛みの分かる人間になって、人に優しくなれますから」。この言葉に物凄く衝撃を受けましたね。でも失恋は何歳になっても嫌ですけどね(笑)。

今は退職なさった吉井(宏)先生のゼミに2年次から4年次までいたんですが、先生の研究室が「行きつけのゼミ室」でした。授業がなくても行ってましたね。行けば、先輩や後輩の誰かが必ずいて、本当に楽しかったです。サークルは「落研(落語研究会)」でした。本当はスポーツ系のサークルに入りたかったんですが、「うちではスポーツもやるよ」と甘い言葉に誘われてお花見に行き、後で落研の意味が分かった(笑)。今でも当時の落研の友だちが、プロレスを見に来てくれるんですよ。

ゼミ活動や学校の授業、教育実習の思い出はありますか

8月の第1週に1週間、土器を発掘するゼミ合宿がありました。夏休みで、みんなが七夕祭りデートに行く中、私たちは強制合宿です。「私も花火にいきたいなー」と思ったりしてたんですが(笑)、こちらは岩沼に泊まり込みでした。土器って、よく見つかるんです。掘ればこんなに出るんだ、っていうくらい。昔の時代を思い浮かべながら、感動しましたね。測量機器をつかったり、体力的にも結構大変な合宿でした。おかげで測量のバイトもしたことがあります。あとは、オーストラリア留学も経験しました。教育実習は養護学校の免許も取得したかったので、3年次、4年次と行きました。3年のときは母校の中学校に行ったのですが、当時弟が在学していたので、弟は同級生にからかわれてましたね。そんな弟も私の影響で福祉大に入りましたよ(笑)。実習を経験して、先生になるのってこんなに大変なんだと思いました。全先生たちに感謝ですね。

めざしていた教員にならず、未練はないですか

ないです。今はプロレスラーですから、教員と全く違う道で、大学に行く必要はなかったじゃないか、と思うかもしれませんが、全然そんなことありません。家庭教師をしたりすることもあるし、在学時の経験や企業に勤めたノウハウ全てが役に立っています。

家庭教師??

団体選手の家庭教師です。中学くらいから入門してそのままプロレスラーになりたいという人もいますが、うちは「高校には行きなさい。行けば次の選択肢も広がる。とにかく友達がたくさんできて楽しいから、行った方がいいよ」と言い聞かせてます。なので家庭教師として勉強を教えてましたね。団体の選手には小学校のころから格闘技デビューをしている子もいれば、親子レスラーや銀行員、専門学校生、舞台女優もいます。うちは兼業OKなので。

東日本大震災とプロレスと。
確信できた、自分たちのモットー。

写真提供:アイスリボン

教員にはならずとも、やはり人を育てる役割をしているのですね。ところで今、地元仙台でも年1回「仙台リボン」として興業をしていますが、いつから始めたのですか。そして将来の目標は

仙台リボンは東日本大震災後の翌年から始めました。震災のあった2011年の7月に、体育で使うようなマットをもって、被災地の仮設住宅を巡って試合をしたんです。さすがに当時はリングは持っていけませんから。それでも、マット1枚あれば試合はできるんです。もちろんマットがなくてもできますよ。山手線や歌舞伎町、路上でプロレスをしたこともありますから。うちは「プロレスでハッピー!」がモットー。プロレスを通して幸せな気持ちになってもらいたいと思っています。仮設住宅の方々に「楽しかったよ」といわれて、本当にやって良かったと思えた。やっぱり娯楽は必要なんだ、その一つにプロレスを選んでくれたら嬉しいなと思えた。その翌年、2012年の1月から仙台での興業を始めました。将来は47都道府県で興業をやりたい。各都道府県出身選手を集めて、凱旋興業をやりたいです。地元で試合をすると、選手に関わってきた人たちがたくさん来るし、その選手のひととなりが分かるんです。関わってきた人たちを見れば、選手がどうやって育ってきたのかも分かりますから。

東北福祉大学について、思うことはありますか?

東京に来て、東北福祉大の偉大さが分かりました。こっちで会う人たちに出身大学をいうと、みんな周知してるんですよ。しかも卒業生が多いので、いろんなご縁に繋がる。だから、在学生のみなさんには「自分たちが思っているより、有名な大学だぞ!」っていいたいし、誇りに思ってほしいです。在学時に新潟中越地震(2004年)のボランティアに参加したんですが、プレハブでざこ寝して、日中はボランティアに出向く生活を2週間経験しました。学科の友達、ゼミの友達、サークルの友達、ボランティアの友だちと、どんどん輪が広がります。大学の友だちは一生の友だちだな、って思いますね。

What TFU means to me

私にとっての東北福祉大学とは

天職に出会わせてくれた。
無駄な学びは1つもないことを
教えてくれた。
教える喜びを指導してくれた。
東北福祉大学は私をハッピーにしてくれた!ハッピーの原点です。

ほかの先輩のことを知りたい!

出発点は高校球児のころ。大学で医療や医学の勉強の楽しさ、人の絆を学び、地元の医療に貢献。
社会医療法人明和会 本部人事部
奥山 旭
健康科学部 医療経営管理学科
出発点は高校球児のころ。大学で医療や医学の勉強の楽しさ、人の絆を学び、地元の医療に貢献。
社会医療法人明和会 本部人事部
奥山 旭
健康科学部 医療経営管理学科
  • 医療
  • ボランティア
  • サークル
  • 福祉
  • 資格
情報を伝える、それもひとつの福祉。実行委員会で学んだバイタリティを武器に地元の新聞社へ。
河北新報社・営業部
高橋柊介
総合福祉学部 社会福祉学科
情報を伝える、それもひとつの福祉。実行委員会で学んだバイタリティを武器に地元の新聞社へ。
河北新報社・営業部
高橋柊介
総合福祉学部 社会福祉学科
  • 福祉
  • 社会学
  • 学園祭
  • ボランティア
  • コミュニケーション
  • 実習
目標に向け、自分のために使うと決めた4年の時間。自ら行動する大切さを知り、 高校時代から思い描いていた、医療の世界へ。
一般財団法人厚生会 仙台厚生病院 医事部医事課
中村美咲
健康科学部 医療経営管理学科
目標に向け、自分のために使うと決めた4年の時間。自ら行動する大切さを知り、 高校時代から思い描いていた、医療の世界へ。
一般財団法人厚生会 仙台厚生病院 医事部医事課
中村美咲
健康科学部 医療経営管理学科
  • 診療情報管理士
  • 医療
  • 教育
  • 福祉
  • 成長
  • 資格
ワクワクさせること、喜ばせることも福祉。誰かを笑顔にするICT活用を夢みて大学院で研究の毎日。
東北大学大学院 教育情報学教育部 教育情報学専攻 修士2年
栁田恵梨奈
総合マネジメント学部 情報福祉マネジメント学科
ワクワクさせること、喜ばせることも福祉。誰かを笑顔にするICT活用を夢みて大学院で研究の毎日。
東北大学大学院 教育情報学教育部 教育情報学専攻 修士2年
栁田恵梨奈
総合マネジメント学部 情報福祉マネジメント学科
  • 情報通信技術
  • ノーマライゼーション
  • 教育
  • 福祉
  • 成長
  • エンターテインメント
福祉とは、幸福な社会をつくること。行学一如の精神を胸に行政トップとして市政に奮闘。
宮城県角田市市長
大友喜助
社会福祉学部 社会教育学科
福祉とは、幸福な社会をつくること。行学一如の精神を胸に行政トップとして市政に奮闘。
宮城県角田市市長
大友喜助
社会福祉学部 社会教育学科
  • 地域福祉
  • 公共福祉
  • 行政
  • 実践主義
  • 資格
  • フィールドワーク
  • 教育
仲間、先生のサポートを追い風に、幼い頃から憧れだった小学校教員へ。
仙台市立七北田小学校教諭
井上拓也
子ども科学部 子ども教育学科(現・教育学部 教育学科)
仲間、先生のサポートを追い風に、幼い頃から憧れだった小学校教員へ。
仙台市立七北田小学校教諭
井上拓也
子ども科学部 子ども教育学科(現・教育学部 教育学科)
  • 学校教育
  • 福祉
  • ボランティア
  • コミュニケーション
4年間で養った「ICTスキル」と「人を想う心」を活かし、社会のバリア撤廃に挑戦。
NECソリューションイノベータ東北支社
清野明日美
総合マネジメント学部 情報福祉マネジメント学科
4年間で養った「ICTスキル」と「人を想う心」を活かし、社会のバリア撤廃に挑戦。
NECソリューションイノベータ東北支社
清野明日美
総合マネジメント学部 情報福祉マネジメント学科
  • 福祉
  • ICT
  • 情報技術
  • バリアフリー
  • コミュニケーション
  • 自立支援
  • 産学協同プロジェクト
「高齢者を肯定する」居場所づくりで、日本の未来を切り拓く介護業界の次世代型パイオニア。
株式会社あおいけあ代表取締役・慶應義塾大学看護医療学部非常勤講師
加藤忠相
社会福祉学部 社会教育学科
「高齢者を肯定する」居場所づくりで、日本の未来を切り拓く介護業界の次世代型パイオニア。
株式会社あおいけあ代表取締役・慶應義塾大学看護医療学部非常勤講師
加藤忠相
社会福祉学部 社会教育学科
  • 福祉
  • 介護
  • 地域医療
  • 少子高齢化
  • 社会保障
  • 自立支援
実学で磨きあげた看護技術と福祉マインドで、医療の最前線に挑戦。
横浜労災病院・整形外科
若生ゆいか
健康科学部 保健看護学科
実学で磨きあげた看護技術と福祉マインドで、医療の最前線に挑戦。
横浜労災病院・整形外科
若生ゆいか
健康科学部 保健看護学科
  • 福祉
  • 医療
  • 看護師
  • ボランティア
  • コミュニケーション
  • 実習